アイディアあふれるアルテカの野村紘一氏は、みん就でも人気で超高級マンションのベルテシリーズを誕生させました。ベルテがこれほど注目されるのは1975年当初で1億円という価格帯だったからです。当時の都内3LDKマンションは1,500万円が相場であり、1億円という価格のインパクトは非常に大きいものでした。今でこそ都心には数多くの億ションが存在していますが、昔から存在したわけではありません。
当時のマンションの存在意義は弱く、アパートの一種と考える人が多かったです。野村紘一氏もこれは認識していましたが、いずれマンションの時代がくると考えていたのです。都心は人口が増加しているにもかかわらず、一戸建てが主流になっていました。そうなれば土地を確保できなくなり、住宅事情は破綻すると考えられていたのです。日本の住宅事業は先進国のなかで、かなりの遅れをとっていました。島国という性質から仕方のない部分もありますが、何も対策をしなければ問題は解決しません。
そこで野村紘一氏は本格的な土地開発に乗り出したわけです。欧米にならって土地開発を進めていき、マンションを普及させる運動をしました。マンションのメリットは少ない土地に大勢が居住できることにあります。一戸建てだと3階建てが限界でしょうが、マンションだと数十階にすることも可能です。ただ野村紘一氏は低層階のマンションにこだわりがあり、あえて高層階にはしませんでした。低層階でも付加価値を提供すれば売れると考えたわけです。
野村紘一氏の働きもあって日本の住宅事情は大きく進歩したのです。ベルテ原宿に興味を示す人は非常に多く、これが引き金となって億ションの認知度が上がりました。その後も多くの億ションが販売されましたが、即完売になる現状が続いたのです。多数の問い合わせや見学があるなど、億ションに興味を抱く人がいかに多いか世間は認識しました。興味を抱く人の多くは富裕層ですが、これほどまでの反響があるとは予測が難しかったでしょう。
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